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「筆を置く」という表現について

この辺りで筆を置くことにしよう。

 

みたいな表現を誰しも見たことがあると思う。筆を置く、なかなか綺麗な言い回しやん。

 

なんかこう昭和の文豪みたいな人が眼鏡外して眉間とか利き手側の肩とかをもみもみしながらため息一つ、そのまま座椅子にもたれかかって最後の一文字書き終えたカタルシスに浸ってますみたいな情景が浮かんでくるやんけ。

 

それは良い。良いのだが一つ気になることがある。

 

これを現代風に言うとどうなるのか?

現代の一般人は日常生活で文字を書く際そうそう筆を使わない。せいぜい常用する物といったら鉛筆、シャーペン、ボールペンくらいだと思う。じゃあ「筆」の部分を適宜置き換えれば良いのだろうか?

「シャーペンを置く」

「ボールペンを置く」

「鉛筆を置く」

正直微妙だと思う。「筆を置いた」時のような質感が薄い。何故なのか。しばし考えてみた。

 

結果、一つの答えにたどり着いた。

 

オブジェクトの鮮度が微妙。

 

筆と言われればもう何百年と前から存在する道具だ。ビンテージ物と言って差し支えない。しかしながら先に挙げた彼らはどうだろうか。新しいと言えば新しいし、前からあると言えば前からある。

 

要するに中途半端なのだ。パンチが弱いと言っても良い。レトロでもモダンでもない物は残念ながら

「古くさい」乃至「普通」くらいのレンジに収まってしまう。牛車とリニアモーターカーの間に置かれた10年前のプリウスに何かアイデンティティを見出せるだろうか。恐らく無理だ。

 

話を戻そう。「筆を置く」を現代風にアレンジする為には、とどのつまり最先端の文字書きツールを持ってくれば良いのだ。では最先端の文字書きツールとは何か。

 

答えは眼前にあった。スマホのキーボードである。今まさに俺はスマホのキーボードで文章を書いているではないか。

 

ひょっとしたらそれよりもさらにハイテクでものすごい文字書きツールも知らない所で発明されているのかもしれない。しかしながらこういった慣用句には「多くの人間が容易に意味を汲み取れなければならない」いう暗黙の了解がある。

 

まだ遍く知れ渡っていないような物や概念を持ち出してきて新しい表現を作ったとしても、殆どの人間にその意味は理解できない。天動説の時代に生きる人々に「何時何分何秒地球が何回まわった時ですか〜?ww」と言ってみれば分かるが恐らく怪訝な顔をされるか宗教裁判にかけられて終わると思う。地球は回らないからだ。

 

その点スマホのキーボードという概念は殆どの人が理解できる。今や小学生から後期高齢者までスマホを持つ時代だ。ここでとりあえず新しい表現に盛り込むオブジェクトは確定した。

 

しかしここで新たな問題が発生した。スマホのキーボードは画面上にのみ存在するものであって、これを「置く」ことはできない。仮に無理矢理

「この辺でスマホのキーボードを置くことにしよう。」

などと宣っても間抜けさとちぐはぐさだけが残る。ではどうすれば良いと言うのか。私は悩んだ。とりあえずDMMで蓮実クレアの新作をチェックした。

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ここで私ははたと閃いた。何も「置く」という表現に縛られる必要は無いのではないか!?一般的に人がスマホで文字を打ったのち最後にすることを考えれば良いのではないか!?私は震えた。コペルニクス的転回と言っても良いだろう。天動説マンも吃驚な天才的発想によって、私は辛くも一つの光明を得た。

 

一言にスマホで文字を打つ行為と言っても、その目的は多岐に渡る。SNSへの投稿であったり、メール等のやり取りであったり、何かを検索する為であったりと、一概にまとめることはできない。

 

しかしながら、私はついにそれらすべてに共通するアクションを発見した。それは.....

 

改行キーを押すこと

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である。

各々意識してみれば分かると思うが、右下の一番大きなキーは文章や単語を打ち終えた時必ず押されているはずだ。最近のスマホは便利なもので状況によってキーの表記が「確定」「検索」「開く」などに変わったりするが、デフォルトではこれは「改行」キーなのである。(iPhoneでの話です。androidはどうなのか知らね)

キー、というのは何となく響きが間抜けなのでここはボタンと言い換えても良いだろう。

 

結論に移ろう。この度私が提唱する新時代の「筆を置く」とはそれ即ち

 

改行ボタンを押す

 

である。

 

以下に用例を記す。

 

この物語はこれでおしまいである。ここから何を感じ取り、何を思うかはまったくもって読者の諸君の自由であり、また権利であるということを最後に述べて、改行ボタンを押すことにする。

 

良いではないか。途端にサイバーな香りがしてきたではないか。私は新たな歴史の一歩を自ら踏み出してしまったのかもしれない。この先数多の困難にぶち当たるやもしれない。だがそれでも構わない。その覚悟はとうに出来ている。

 

これ以上御託を並べる必要はないだろう。一つの時代の終わり、そして新たな時代の始まりを見届けつつ、この辺りで筆を置くことにしよう。

 

 

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