後ろ向きな性格
自分で言うのもアレですが俺はかなり後ろ向きな性格だと思います。そんなんで楽しいのかと訊かれたら答えてあげるが世の情けなので答えてあげます。全然楽しくない。常にネガティブなので。
で、
とりあえず普段自分がどういうこと考えて生きてるのかこの機会にまとめてみました。良かったら読んで俺みたいにはならないでください。
人はいつか死ぬ
お役立ち度:★★★★★
人は必ずいつか死にます。ここで重要なのは、皆必ずしも老いて天寿を全うするとは限らない、ということです。突然タンクローリーが高速回転しながら突っ込んでくるかもしれませんし、何らかの要因で軌道から外れたスペースデブリが頭上に落ちてくるかもしれません。あと普通に心筋梗塞とか。
早い話が誰しも次の瞬間死ぬかもしれないわけです。次の1秒、次の1秒と毎回この世のあらゆる苦しみから逃れられるチャンスが訪れているということです。
「ふざけるな!生きたくても生きられない人だっているんだぞ!」
という声が聞こえてきそうですが、これは全くもってナンセンスです。僕の生命がどうなろうが他人の生き死には変えられませんし、そもそも僕は死にたいとまでは言っていません。むしろその真逆で、「ある時突然全ての苦しみから解放されるかもしれない」という後ろ向きな希望があるからこそ生に対して前向きにいられるのです。
さて、もちろん必ず死ぬのは自分だけではありません。他人とてそれは同じことです。
誰しも周りに殺してやりたいほど嫌いなヤツが1人や2人はいるでしょう。無能なくせに口だけは出してくるアイツやツイートがいちいち鼻につくコイツ、シンプルに気持ち悪いソイツなどなど、生きていれば必ず自分と相容れない人間と関わってしまうことがあろうかと思います。心配しないでください。わざわざリスクを犯して殺しにかからずともいつか勝手に死んでくれます。ひょっとしたら先に自分が死んじゃうかもしれませんが、そうなっても少なくともそいつと絶縁することは可能ですし、ワンチャン祟り殺すことができますので。
要するにいつかは必ず終わる、そう考えれば大抵の悩みごとは少し軽くなるということです。
産まれたくて産まれた訳ではない
お役立ち度:★★★★☆
先に言っておきますがこれは決して親やお世話になった人達を否定する言葉ではありません。
さて、こう言っちゃなんですが産まれたくて産まれた人間なんて一人としていません。昔国語の教科書で読んだ覚えのある人もいるかもしれませんが、「産まれる」とは「be born」、常に受動態なのです。産まれる側に選択の余地はありません。ちょっと考えてみてください。「自分が自らの意思でこの世に出てきた」というようなニュアンスを正確に表現できるように、「産まれる」という言葉を変形出来るでしょうか。おそらく不可能です。世の中には偉い人やすごい功績を残した人が沢山いますが、結局のところ彼らもみな「産まれちゃったからなんとなく生きてる」人でしかありません。
何が言いたいかというと、自分が生きる理由や意味について思い悩む必要はない、ということです。そんなものは後付けで構わないのです。何なら死んだ後にでもゆっくり考えてみるか、くらいの心積りで良いんじゃないかと個人的に思っています。
成功者の言葉を真に受けない
お役立ち度:★★☆☆☆
「〇〇の言葉」とか、「△△△・成功の5つの法則」とかそんなタイトルの安っぽい本がよくコンビニに並んでたりしますね。最近だとSNSにも何かしらで成功した人のありがたいお言葉が溢れかえっています。はっきり言います。あんなもんは言った者勝ちです。たしかに色々参考になるノウハウや考え方などはあるでしょう。しかし結局のところ、成功した人の言葉にその人が成功したことによるバイアスがかかってないわけがありません。本田宗一郎が、「僕は毎日必ずうんこをしています」って言ってたらちょっとそれっぽく聞こえませんか?スティーブ・ジョブズが「私は痴漢モノでしか抜かない。それが成功の秘訣だ。」とか言ってたら謎に説得力がありませんか?そういうことです。
何を言うかではなく誰が言うかなのです。そんなことに耳を傾ける暇があったら昼寝でもしてるほうがよっぽど有意義です。他人は他人です。背伸びする必要はありません。
欠点に気付いてるだけで偉い
お役立ち度:★★★★☆
無能だったり、空気が読めなかったり、つまらなかったり.....色々と自分の欠点が目について嫌になっちゃうことがあることもあると思います。それで十分です。気付くことが改善への第1歩なので。それに気付かずエヘラエヘラしてるそのへんの馬鹿より5億倍偉いと思います。
まだ、いつか
お役立ち度:★☆☆☆☆
「まだその時じゃない」「いつかその時が来たら」
と思い続けることによって何にも為せていない自分を肯定する裏技です。何者にもなれてないということはすなわち何者にもなれる可能性があるということです。まだ間に合います。たぶんずっと間に合います。死んでからでも遅くはありません。
自分より下を探しても良い
お役立ち度:★★★☆☆
人は生きていると必ず自分と他人を比べます。テストの点だったり身長だったり生き方だったりバックグラウンドだったり、比較点は多種多様に存在するでしょう。こんな時、一般に自分より下を見つけて安心することは悪いことだ、恥ずべきことだ、常に上を見なければならない、とされています。僕にはこれが理解できません。自分以下を見つけてホッとすることで一体誰に迷惑がかかるというのでしょうか。アイツは俺よりバカだ、チビだ、不幸だ、そう思っても口に出さなければ誰も傷付きゃしないのです。確かに常に上を見続けるのはすごいことだと思います。それを否定はしません。ただそれは非常にしんどいことですし、時には自己の否定につながります。そうなっては元も子もありません。要するに
「上を目指し続けるのは善」
「下を見て安心するのは悪」という価値観に縛られる必要はない、ということです。そんなものは個人の自由であって、善悪も糞もないはずです。
上だろうが下だろうが死ねばただの灰だということをゆめゆめ忘れてはいけません。
この世だけが現実とは限らない
お役立ち度:★★☆☆☆
「水槽の脳」という有名な思考実験があります。簡単に言えば、「あなたが見ているこの世界は、水槽に浮かんでいる脳が見ている幻覚かもしれない」というものです。あらゆる刺激や情報は最終的に脳によって受け取られ、処理されます。なのであれば、今自分が生きているこの世界は、実は高度なコンピュータに繋がれた状態で水槽に浮かんでいる脳が見せられている幻覚に過ぎないのかもしれない、ということです。
僕はあんまり哲学に詳しくありませんが、本来これは意識とはなにか、みたいなことに迫るための思考実験らしいです。しかし本題はそこでありません。今自分(のような主体)が生きている(と思っている)この世界が、全くのまやかしである可能性は確かに誰にも否定できないということを言いたいのです。ある日突然目が覚め、自分が蝶であることを思い出して花の蜜を吸いに飛び立つかもしれないわけです。少なくとも僕は常に心の隅にその可能性を置いています。その方が色々楽なので。
他人に期待しない
お役立ち度:★★★★★
ここで言う期待というのはかなり幅広い意味を含みます。ですが人任せにせず何でも自分でできるようになろうぜ、という意味ではありません。
さて、故意であれ過失であれ不可抗力の事情であれ、他人が自分を裏切る可能性は常に存在します。仕事だったり遊びだったり、その他些細なことまで、自分が他人に期待をしてしまった瞬間から既に裏切られるリスクが発生してしまうんですね。なので、出来るだけ人の行動に期待せず、常にフラットな心持ちを忘れないようにしよう、ということです。これには、明確な根拠があります。
例えば、「明日13時にどこそこ集合で!PSP持ってきてね!」という約束を友達とした、とします。ここで、少なくとも「相手が時間通りに集合場所に来ること:30ポイント」「PSPをちゃんと持ってくること:20ポイント」「そもそも来ること:50ポイント」という期待値(数学で出てくるアレとは無関係、あと値は適当)が発生します。
で、当日、相手が遅刻し、PSPも忘れてきたとしましょう。もしここで先の期待値をバカみたいにフルで抱いていた場合、-50ポイントの損失が発生します。さらに相手が時間通りに到着し、PSPもきちんと持参していたとしてもそこがそもそもの基準なので1ポイントもプラスがありません。損失は0ですが利益も0です。要するに減点方式になってしまうんですね。
ところがです。
最初から期待値が0だったとしたらどうでしょう。相手が遅刻しようが、PSPを忘れようが、ドタキャンしようが、端から何も期待していないので損失はどこまで行っても0ポイントです。そればかりか、相手が遅刻せずPSPも持ってきてくれればプラス100ポイントの儲けになります。今度は加点方式になっているわけです。お得でしょう。
つまり、他人に期待しないというのは決して他人を侮って見切りをつけるのではなく、常に寛容に人の行動を受け止め、その上でできるだけポジティブな捉え方をしていたら良いですねということです。
たぶん他にも色々ありますが、とりあえずパッと思い付いたことは以上です。それではこれらを踏まえてまとめに入ります。
まとめ
彼女欲しい。あと掃いて捨てる程のお金も欲しい。