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ワイ流うまうま炒飯の作り方

炒飯。簡単なようでいて奥が深いものの代名詞。かどうかは知らない。前置きが思い付かないので以下淡々とワイ流の作り方を書いてきます。

 

〜用意する道具〜

 

大きめのフライパン

 

コテ、若しくはフライ返し(出来れば2個あるとなお良いです)

 

〜材料〜

固めに炊いたご飯··········茶碗に2杯くらい

 

卵··········2個

 

葱··········一掴み分くらいの長さ

 

塩、胡椒、醤油、ラード、味の素··········適当

 

ラードはお近くのスーパーに行けばチューブタイプの便利なやつが300円くらいで売ってます。

 

〜作り方〜

 

はじめに言っておきます。この炒飯の味の根幹を担っているのはラードと葱と醤油です。即ちこの3つが揃っていればよっぽどの事が無い限り不味くはなりません。安心して下さい。

 

①下準備として卵を溶き、葱を細かく刻んでおきませう。あとご飯も適当な器によそっておくと後々楽です。

 

②フライパンにラードをブリュリュと15cmくらい出し、火力をMAXにします。というか最後までずっとMAXなので火加減にはあまり気を配らなくて大丈夫です。

 

③ラードが液状化し、フライパンからモクモクと煙が出るくらいまで熱が入ったら一気に卵を流し入れます。

 

④卵がジュワワワワとすぐに固まり始めますが、落ち着いて器のご飯を片手に持ち、5秒数えましょう。この時卵をかき回したりする必要は無いです。

 

⑤5秒数えたらご飯を放り込みます。ここからは時間との勝負です。コテかフライ返しで小刻みにつつくように、切るようにご飯と卵を混ぜていきます。それはもうご飯と卵が一体化するイメージでガシャガシャと叩いていきます。(イメージが掴みにくい人の為に参考動画を載せておきました→https://youtu.be/Ybb57frsdKk)

 

⑥パッと見全体が黄色くなったら刻んだ葱を放り込み、先の動作を続けます。まだまだガシャガシャいきましょう。

 

⑦葱にも火が通り、若干焦げて所々茶色くなってきたら醤油をフライパンの肌に直接当たるように投入しましょう。量は適当で良いですが目安としては普通のスプーンに3杯くらいです。

 

⑧醤油がジュワッと音を上げたらすかさずまたガシャガシャやります。余裕のある人はよくテレビで料理人がやってるみたいにジャッジャッとフライパンを煽っても良いでしょう。

 

⑩全体が綺麗に薄茶色っぽくなったら完成です。ちょっと味見をし、好きなように塩胡椒味の素を振りかけてから軽く混ぜてください。

 

 

 

 

やってみれば分かりますがマジで旨いです。調理の上での注意点は特にありませんが調子こき過ぎて米が飛び散りまくらないようにだけ気を付けてください。

 

 

 

串時計

焼き鳥と煙草の煙の臭いが入り交じった安っぽい空間の中、そいつは唐突に切り出した。

 

「な、な、ひっくり返す時計は見たことあるでしょ。ほら、砂時計的な。三分とか五分とか計るやつ。けどさあ、"ひっくり返る時計"って知ってる?」

 

カウンターの向こうでは串に連なった鶏肉の脂が炭に落ちてシュウシュウと音を立てている。

 

「何それ」

 

氷が溶けに溶けて殆ど水になったジントニックを飲み下して相槌を打った。が、後ろの大学生達の喧しい騒ぎ声と威勢の良い店員のいらっしゃいませえにかき消された。

 

「え?なんて?」

 

「な、に、そ、れ」

 

大袈裟に口を開いてもう一度尋ねた。満足気に頷いているのを見ると、どうやら言っていることは伝わったようだ。

 

「それはもう恐ろしい時計でさ。ある刻限を迎えるとひっくり返るんだよ。誰も気付かないうちに。誰も気付かないうちにっていうか、誰も気付かないんだよ、いや、その、とにかくそういうあれなんだわ」

 

「なに、もう酔ってんの?」

 

後ろから失礼します、という気持ちのこもってない断りと共に店員がさっき頼んだ焼き鳥を持ってきた。こちらからもも、ハツ、皮、砂肝になります、と胡散臭い笑顔で説明を終え厨房に戻る彼の背中をぼんやりと眺めながら、ぼんじりを頼み忘れたことに数ミリの後悔を感じた。

 

「お、ここの焼き鳥旨いじゃん」

 

当たりだったな、と能天気な顔をして肉を頬張るそいつに習って、とりあえずハツを食うことにした。何故人が食べてるものというのは数段美味しく見えるのだろうか。

 

「確かに、結構美味しいなこれ」

 

と口の端から引き抜いた串を串入れに放り込んだ。その時、そいつが今迄見せたことの無いような表情を見せた。例えるなら、ひっかけクイズに相手がまんまと引っかかった時のような、無邪気で、でもどことなく意地の悪さが滲み出ている、そんな顔だった。

 

「それなんだよな」

 

「何がだよ」

 

「さっき言っただろ、ひっくり返る時計だよ」

 

「……?」

 

本当に何を言ってるんだこいつは?

 

「だからそれだよ」

 

と言い切るが早いかそいつはおもむろに俺の目の前の串入れを取り上げると、トントンと目の前で弾ませながらこちらを向けて静止させた。"串はこちらにお願いします♪"とマジックで丸っこく書かれたシールが薄汚れて剥がれかけている。

 

「この串入れが?」

 

「そう」

 

何本目か分からない煙草に火をつけながら、そいつはニヤニヤした顔で話し始めた。

 

「これはな、カウントダウンなんだよ」

 

「カウントダウン?」

 

「お前さ、串入れが一杯になったとこって見たことあるか?それはもうギチギチに」

 

「流石に見たことないな」

 

「だろ?じゃあさ、もしこれが一杯になったらどうなると思う?」

 

「どうって、そりゃ店員が片付けるだろ」

 

「さっき言ったこともう忘れたのか?言っただろ、ひっくり返るんだよ」

 

話に熱が入ったのかそいつは持ったままだった目の前の串入れを逆さまにした。カラカラと乾いた音を立てて数本の串が折り重なった。

 

「何やってんだよ馬鹿」

 

と串を拾って前を向くと、そいつの顔から一切の笑みが消えていた。

 

「ひっくり返るんだよ、本当に」

 

「だから何がだよ、お前がひっくり返してんじゃねえか」

 

多少のいらつきを隠せぬまま嫌味をぶつけたが、そいつはまるで俺の声が聞こえていないかのように続けた。

 

「世界のどこかで、何かがひっくり返るんだよ」

「ひっくり返るって言っても単に逆になるわけじゃない、何かが大きく変わるんだ。それはある法則かもしれない、概念かもしれない、物理的なものかもしれない」

「でもとにかく、何かがひっくり返るんだ、そして、誰もそれに気付かない」

「いや、誰も気付かないわけじゃない、稀に気付いてしまう奴もいるみたいだけど」

「でも、多分99.9%の人間はまるで初めからそうだったかのように、一片の違和感さえ感じない」

 

最早それは冗談を言っているような顔ではなかった。流石に薄ら寒くなった。すうっとそいつの声以外の周りの音が無くなっていくような感覚に囚われた。

本当に突然こいつは何を言い出してるんだ。精神を病んでいるのか?病院に連れて行くべきなのか?最近妙な素振りはあっただろうか?色々な思考が駆け巡り何も言えなくなった俺を見据えて、そいつは更に続けた。

 

「例えばだ」

 

「お前、手の指何本ある?」

 

荒唐無稽な馬鹿話に付き合い続けるのが正直腹立たしくなってきた俺は、子供に教えるかのように両手を突き出し、わざとらしく指差しながら数えてやった。

 

「数えるまでもないだろ、ほら10本だよ、よく見てろよ。な、こっちの端から小指、薬指、中指、人差し」

 

「お前さ」

 

突然発せられた、先程までより一層凄みを増したそいつの声に俺は思わず言葉を止めてしまった。心底悲しそうな、落ち込んだような、そんな顔で溜息をついている。なんなんだ。まだ何か言い出すのか。恐れのような期待のようなよく分からない感情に支配され、次に紡ぐ言葉を見つけられないままでいる俺に、そいつは言い放った。

 

「なにムキになってんのよ」

 

ぶふっ、というような間抜けな音を皮切りに、今迄せき止めていた水が溢れ出していくかのように笑い声が大きくなっていった。ケタケタと笑いながらそいつは煙草を捻り潰した。涙まで流しながら、肩を震わせている。先程までの張り詰めていた空気が一気に弾け、にわかに周りの音が戻ってきた。

 

「は?」

 

混乱を隠しきれない俺に、ニヤついた顔のままでそいつは続けた。

 

「面白かっただろ?さっきお前がトイレ行ってる間に思い付いたの」

 

「お前まじでふざけんなよ、本気でどうかしたのかこいつって心配したんだぞ」

 

「悪かったって。少し多めに出すから許してよ」

 

なおも笑いを噛み殺しきれないような顔で、そいつはまた煙草に火を点けた。

 

「そこの串入れ見てたらほんと突然思い付いちゃってさ、折角だからお前に話してやろうと思って」

 

「何が折角なんだよ、くだらない話に結構な尺割いてくれやがって」

 

「大体な、ホラ吹くならもっとちゃんとした面白い話にしろよ、滅茶苦茶なこと言いやがって」

 

「ごめんってば、でも大体真実ってのは意外と支離滅裂なもんだったりするのよ、ほら事実は小説より奇なりって言うじゃん」

 

「今のお前が一番支離滅裂だよほんとに」

 

そうかもなあ、とそいつは少し寂しげに呟くと細く長い煙を天井に向かって吐いた。もう少し面白いリアクションをしてやれば良かったかな、と少しばかり後悔したが、まあいいだろう。これに懲りて次はもう少し上手くやれ。

 

 

結局なんだかんだで今日のお代は全額そいつ持ちになった。それは流石にいいと何度も断ったが、

 

「まーまー、今日は流石にやりすぎちゃったからさ、お詫びお詫び!それに丁度バイト代入ったばっかだし!」

 

とのことで、仕方なく押し切られてやった。

 

二人して店を出ると、うっすらと冬の匂いがした。寒さで鼻がツンとなった時の粘膜の匂いだ。

 

「やべーな、もう息白くなる季節か」

 

「だいぶ日も短くなったしなあ」

 

「風邪引くなよ、じゃあ俺家近くだから、またな」

 

とひらひら手を振りながらそいつはまばらになった人並みの中に消えていった。俺もそろそろ終電が近い。

 

 

駅に向かって歩きながら、さっきの話を思い出していた。まあ、今になってみればそこそこ面白い話ではあったか。癪に障るが少しだけ顔が綻んだ。と、ポケットが震えた。取り出した四角い画面には、

 

「おつかれ、また飲もうぜ」

 

とあいつからのメッセージが浮かび上っていた。おう、と返信し、そのまま手をポケットに戻そうとした時、ふとあの迫真の表情が脳裏に浮かんできた。

 

「事実は小説より奇なり、ねえ」

 

誰に見せるでもなくニヤニヤと微笑みながら、右手を夜空に翳し、いち、にい、さん、と指折り数えてみた。

 

数え終わって、何故か安堵の溜息が出た。白い息が立ち上って消えていく。何が串時計だ。ほれ見ろ、

 

 

ちゃんと10本ある。

 

 

 

 

 

 

さっきの話

ようやく一回目の休憩時間か、とワイは夜行バスを飛び出して、のこのことSAの喫煙所に足を運ぶが早いかいつも吸うてるマルボロブラックメンソールを咥えて火を点けたんや。冷たい空気とメンソールが混じってド冷たい主流煙を肺にいっぱい吸い込んだワイは、よく漫画とかでビール一気飲みした奴がやる「プハーッ!!」くらいの勢いで煙を吐き出したわけや。

 

いや〜この気温だと煙なのか白くなった息なのかわかんないのね、めっちゃ真っ白やんけとか思いながらぼんやり煙の行く末を目線で追って喫煙所の屋根の下から少しばかり外に出たワイはその瞬間別のもんに目を奪われてしもうたんや。ワイの頭上。まあものの見事に輝く星の数々。とりわけ目立ったんが真っ黒いビニールに鉛筆かなんかで穴開けて向こうにめっちゃ強い光源置いてます、みたいなすごい綺麗なオリオン座。例えが下手すぎる。

 

はえ〜すっごい……て思いながら灰を落としに一旦灰皿まで戻ったわけやが気が付いたらさっきまで無人だった喫煙所に茶髪に眼鏡の若い兄ちゃんがおったんや。で見てたら、その兄ちゃんも数十秒前の俺みたいにちょっと外出て真上を見ながら煙吐いとるわけや。そいつが戻ってきた時、思わず口に出してしもうたんやな。

 

「星めっちゃ綺麗ですよね」

 

冷静に考えたら見ず知らずの怪しげな男からそんなこと言われても「は……?」としかならんと思う。けどまあその兄ちゃんの心が綺麗だったんか星空が綺麗だったんかあるいはその両方か、その兄ちゃんは笑顔で

 

「都会じゃ見れないですよね」

 

て返してきたんや。

 

そっから先は大した話してない。休憩時間10分やし。お互いの名前すら知らんまま「ほな、」つって別れたんやが、いつか彼が綺麗な星空を見上げた時、深夜の喫煙所で突然話しかけてきた怪しげな眼鏡のことも一緒に想起させてもうたら申し訳ないなあ、とちょっと思う。

 

 

喫煙のメリットについて

昨今喫煙者に対する風当たりが非常に激しい。

 

先月半ば、イタリア全域に於いて

「公衆の面前で喫煙並びにそれに準ずる行為をした者には150ユーロ(日本円で約20万円)の罰金を課す」という法律が施行されたことはかなりショッキングなニュースとして話題になった。(嘘だと思われる方は是非調べてみて欲しい。嘘なので。)

 

本来私はある行為について、そのメリットデメリットという観点から論ずる方式を好まない。しかしながら、

 

「煙草って一本につき5分寿命が縮まるらしいよ」

「ヤニカス臭えんだよ死ねよ」

「痩せろ」

 

等といった世間の声に堪忍袋の緒とズボンのベルトが弾け飛び、ついに喫煙のメリットをもって反論させていただくことを決意した次第である。

 

 

「煙草って一本につき(中略)(後略)」

 

まずこれである。全くもって厚顔無恥、支離滅裂、出前迅速落書無用な言説であると言わざるを得ない。仮に煙草一本につき寿命が5分縮まるとしよう。ということは1箱吸えば100分の寿命が縮まることになる。1日1箱吸う人が1年吸い続けた場合は36500分ということだ。この生活を10年続ければ、更にその10倍、365000分の寿命が縮まることになる。日に直せば約253日だ。10年間毎日毎日吸っても失った寿命はまだ1年にも満たないのである。

 

単純に計算して、20歳から60歳まで40年間タバコを吸い続けた人間は、先の4倍、約1012日の寿命を失っていることになる。まだ3年にもなっていない。

 

ところで、寿命は寿命でも健康寿命という概念をご存知だろうか。これは生物としての生命活動が停止するまでの期間ではなく、いつまで元気な状態でいられるか、という期間を示すものである。

 

例えば90歳まで生きた男がいるとしよう。この場合、この男の寿命は90歳までだった、ということになる。しかし、この男が85歳から寝たきり状態だったとするならばどうだろうか。この場合、この男の健康寿命は85歳までだったということだ。もっというならば、75歳の段階で認知症を発症し、日常生活が困難になってしまっていたのであれば健康寿命は75歳までだったということになる。

 

それまで元気溌剌で、90になった途端ポックリ逝く老人は稀だろう。人は加齢と共に頭や身体が徐々に衰弱し、それまでできていたことも1人ではできなくなるようになる。どうせ終わりの数年間なんぞ生きてたってなんも楽しくない確率の方が高いのだ。ならむしろその無駄なアディショナルタイムをカットしてくれる煙草は非常に便利なアイテムなのではないか?私はそう言いたい。

 

「ヤニカス臭えんだよ死ねよ」

 

ごめんなさい。

 

 

「痩せろ」

 

ごめんなさい。

 

 

さて、ここからは反論ではなく純粋なメリットについて語っていこうと思う。まず第一に、

 

「カッコイイ」

 

そう、カッコイイのだ。デニーロも次元大介松田優作もカッコイイ男はだいたい煙草吸ってるのだ。ここで、

「それ元からカッコイイ人がたまたま煙草吸ってるだけじゃんw」

「煙草吸ったからってカッコよくなるわけないじゃんw」

 

等といった声が今にも聞こえてきそうだが、論点はそこではない。確かにそれはその通りだ。煙草を吸っているからといってカッコよくなれるわけではない。その理論がまかり通るなら俺は横臥(休日のオヤジが寝転がってテレビ観る時のアレ)するだけで涅槃に至ってしまう。

 

※参考画像

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そうではないのだ。カッコよくなりたいわけではない。我々はただ単純にカッコイイものに憧れてしまう生き物なのだ。仮面ライダーの変身ポーズを真似した経験は?ウルトラマンの必殺技の構えを取った経験は?カブトムシやクワガタムシをキラキラした瞳で眺めた経験は?

 

無論我々は仮面ライダーには変身できないしスペシウム光線も撃てないしまして甲虫に転生できるわけでもない。そんなことは百も承知なのだ。それでもやってしまいたくなる、そういう不治の病に大半の男は罹患しているのだ。多分。

 

で、基本的に煙草を吸うことについても根底にあるのは同じ行動原理であると見て間違いない。もちろんニコチンを摂取して気持ちよくなることも大きな目的の一つだが、それ以上にどこかカッコイイ概念の一部になっているような、そういう気持ち良さも享受しているんですね。おそらく。あわよくば。probably。

 

さて、次に

「気持ちいい」

 

これだ。煙草吸ってる人なら分かると思うがとにかく気持ちいい。肺を中心にじんわりとなにかこう気持ちいい成分みたいなものが広がっていく感覚がある。しかしここでも、

 

「それってただニコチンに依存してるだけじゃんw」

 

という勝ち誇ったような声が聞こえてきそうだが、だからなんだ。過程なんてどうでも良い。大事なのは結果だ。想像してみてほしい。美味しいステーキを食べてあ〜美味しかったナァ等と独りごちている時に横から

「それってただタンパク質摂取しただけじゃんw」

と横槍を入れる輩が現れたらどう感じるだろうか。

それとまっっったく同じ話なのである。いきなりステーキ久々に行きたいな。

 

「美味しい」

 これは個人差があるだろうが、タバコというのはただニコチンを摂取するためだけのものではない。それだけが目的なのであればただニコチンを注射器かなんかで血管に打ち込めば良い。

 

煙草というものには銘柄の数だけ様々な味(正確には風味というべきか)がある。それを楽しむのも大きな目的の一つなのだ。ちょうどステーキの部位にヒレだのリブロースだのサーロインだのがあるのと同じことだ。

 

ここで一応注釈を入れておくが、煙草を吸わない人が主に嗅がされるハメになる副流煙というやつ、あれは普通に臭い。味も糞もない、ただ紙と葉が燃える臭いだ。それとは違い、喫煙者が吸い込む主流煙というやつには明確なフレーバーがある。

 

脱線するが、ここで少しだけ煙草のメカニズムについて解説しておこうとおもう。誤解されがちだが、我々喫煙者は煙草葉が燃える際に出る煙のみをそのまま吸い込んでいるわけではない。厳密にいうと、葉が燃える際に発生する熱によって近くの葉の水分が揮発し、そこから発生する水蒸気も一緒に吸い込んでいるのである。それには葉の種類や製法によって多種多様な香り成分が含まれており、各々が独特の風味を醸し出すのである。

 

例えばヤンキーから渋いおじさんまで幅広い世代の方々御用達のセブンスターは、わかりやすく濃いココアのような甘さを持っている。また漫画やアニメのキャラがよく吸っているハイライト、これは箱を開けた瞬間から芳醇なラム酒の香りを放っており、実際に吸うと鋭い味が鼻腔を駆け巡る。

 

このようなフレーバーを楽しむ為に煙草を吸う人々が大勢存在するがゆえに、「美味しい」という表現が広く使われているというわけだ。

 

ちなみに先程話の喩えでステーキを出したが、私はリブロースのレアが好きだ。無論ステーキの話だ。肉をレアに焼き上げるというのは存外難しく、まして家庭のキッチンでそれをやろうとすると初めは大抵焼き過ぎかほぼ生かになってしまう。そこで私が長年の経験から導き出した最強の焼き方をここに記そうと思う。

 

まず肉は何でもいい。最高級のサーロインだろうがやっすいメリケンビーフだろうが牛肉でステーキ用とラベルに書かれていれば問題ない。

 

細かい下処理等は今回些細なことなので省く。好きなように塩コショウしたり叩いたり筋切ったりして下さい。

 

①まずサラダ油をフライパンに引き、弱火で加熱する。この時牛脂があればそちらでやった方がなお良い。ごま油やオリーブオイル等独特な香りの強いものは極力避けたい。

 

②ニンニクを1~2欠片薄くスライスし、フライパンに放り込む。そのまま弱火でじっくり加熱してニンニクを揚げ焼きにし、フライドガーリックを作ると共に油にニンニクの香りを移す。

 

③いい感じにニンニクが狐色に仕上がったら、それらを全てスプーン等で回収して別の皿か何かに避けておく。

 

④そうしたらここで一気に火力をMAXにする。遠慮なくMAXにする。少し待てば、モクモク煙が出てくるだろう。それが肉投入の頃合いを示す合図だ。恐れずに肉をフライパンに放り込もう。

 

⑤ジャッ!!ジョアアアアアア!!!という快音と共に一気に「牛肉が焼ける芳香」がキッチンを包み込むので、悦に入りながらそのまま1分30秒待つ。

 

⑥そうしたら肉をコテなどでひっくり返し、酒を肉の周りに振り撒き、一気に蓋をする。それはもう親の仇のように蓋を被せる。この時あまりドボドボ入れる必要はない。できれば赤ワイン乃至白ワインが好ましいが、無ければ普通の料理酒で問題ない。

 

⑦蓋をしたら30秒待ち、火を止める。そこからさらに30秒待つ。

 

⑧肉を取り出して皿に盛る。欲を言えば皿を事前に温めておくと肉が冷めにくい。

 

⑨フライパンを再度火力MAXで熱し、市販のステーキソースを好きな量ぶっこむ。一瞬で煮たち、泡がブクブク出てくるのでサッとかき混ぜ、その状態のままフライパンを持ち上げて肉にソースをかける。この時モタついてしまうと焦げついてしまうので要注意。

 

⑩最初に作ったフライドガーリックを好きな量散らして完成。

 

これで、どんな肉でも上手くレアで焼ける。パッと見手順が多くて面倒くさそうだが、実の所難しいことは何もやっていないので慣れれば何かの片手間にできるようになる。是非家庭でステーキを焼く時は試してみて頂きたい。

 

何の話でしたっけ、煙草でしたっけ、あんなもん臭いし身体に悪いしさっさとやめた方が良いですよ。なんか一本につき5分も寿命縮まるらしいし。

 

だいたいが煙草吸う奴ってなんで吸ってんですかね、カッコイイとでも思ってんですかねwダッサwくっさw

 

 

 

 

後ろ向きな性格

自分で言うのもアレですが俺はかなり後ろ向きな性格だと思います。そんなんで楽しいのかと訊かれたら答えてあげるが世の情けなので答えてあげます。全然楽しくない。常にネガティブなので。

 

で、

 

とりあえず普段自分がどういうこと考えて生きてるのかこの機会にまとめてみました。良かったら読んで俺みたいにはならないでください。

 

人はいつか死ぬ

お役立ち度:★★★★★

 

人は必ずいつか死にます。ここで重要なのは、皆必ずしも老いて天寿を全うするとは限らない、ということです。突然タンクローリーが高速回転しながら突っ込んでくるかもしれませんし、何らかの要因で軌道から外れたスペースデブリが頭上に落ちてくるかもしれません。あと普通に心筋梗塞とか。

 

 

早い話が誰しも次の瞬間死ぬかもしれないわけです。次の1秒、次の1秒と毎回この世のあらゆる苦しみから逃れられるチャンスが訪れているということです。

「ふざけるな!生きたくても生きられない人だっているんだぞ!」

という声が聞こえてきそうですが、これは全くもってナンセンスです。僕の生命がどうなろうが他人の生き死には変えられませんし、そもそも僕は死にたいとまでは言っていません。むしろその真逆で、「ある時突然全ての苦しみから解放されるかもしれない」という後ろ向きな希望があるからこそ生に対して前向きにいられるのです。

  さて、もちろん必ず死ぬのは自分だけではありません。他人とてそれは同じことです。

  誰しも周りに殺してやりたいほど嫌いなヤツが1人や2人はいるでしょう。無能なくせに口だけは出してくるアイツやツイートがいちいち鼻につくコイツ、シンプルに気持ち悪いソイツなどなど、生きていれば必ず自分と相容れない人間と関わってしまうことがあろうかと思います。心配しないでください。わざわざリスクを犯して殺しにかからずともいつか勝手に死んでくれます。ひょっとしたら先に自分が死んじゃうかもしれませんが、そうなっても少なくともそいつと絶縁することは可能ですし、ワンチャン祟り殺すことができますので。

 

要するにいつかは必ず終わる、そう考えれば大抵の悩みごとは少し軽くなるということです。

 

 

産まれたくて産まれた訳ではない

お役立ち度:★★★★☆

 

先に言っておきますがこれは決して親やお世話になった人達を否定する言葉ではありません。

 

さて、こう言っちゃなんですが産まれたくて産まれた人間なんて一人としていません。昔国語の教科書で読んだ覚えのある人もいるかもしれませんが、「産まれる」とは「be  born」、常に受動態なのです。産まれる側に選択の余地はありません。ちょっと考えてみてください。「自分が自らの意思でこの世に出てきた」というようなニュアンスを正確に表現できるように、「産まれる」という言葉を変形出来るでしょうか。おそらく不可能です。世の中には偉い人やすごい功績を残した人が沢山いますが、結局のところ彼らもみな「産まれちゃったからなんとなく生きてる」人でしかありません。

何が言いたいかというと、自分が生きる理由や意味について思い悩む必要はない、ということです。そんなものは後付けで構わないのです。何なら死んだ後にでもゆっくり考えてみるか、くらいの心積りで良いんじゃないかと個人的に思っています。

 

 

成功者の言葉を真に受けない

お役立ち度:★★☆☆☆

「〇〇の言葉」とか、「△△△・成功の5つの法則」とかそんなタイトルの安っぽい本がよくコンビニに並んでたりしますね。最近だとSNSにも何かしらで成功した人のありがたいお言葉が溢れかえっています。はっきり言います。あんなもんは言った者勝ちです。たしかに色々参考になるノウハウや考え方などはあるでしょう。しかし結局のところ、成功した人の言葉にその人が成功したことによるバイアスがかかってないわけがありません。本田宗一郎が、「僕は毎日必ずうんこをしています」って言ってたらちょっとそれっぽく聞こえませんか?スティーブ・ジョブズが「私は痴漢モノでしか抜かない。それが成功の秘訣だ。」とか言ってたら謎に説得力がありませんか?そういうことです。

  何を言うかではなく誰が言うかなのです。そんなことに耳を傾ける暇があったら昼寝でもしてるほうがよっぽど有意義です。他人は他人です。背伸びする必要はありません。

 

 

 

欠点に気付いてるだけで偉い

お役立ち度:★★★★☆

 

無能だったり、空気が読めなかったり、つまらなかったり.....色々と自分の欠点が目について嫌になっちゃうことがあることもあると思います。それで十分です。気付くことが改善への第1歩なので。それに気付かずエヘラエヘラしてるそのへんの馬鹿より5億倍偉いと思います。

 

 

まだ、いつか

お役立ち度:★☆☆☆☆

 

 

「まだその時じゃない」「いつかその時が来たら」

と思い続けることによって何にも為せていない自分を肯定する裏技です。何者にもなれてないということはすなわち何者にもなれる可能性があるということです。まだ間に合います。たぶんずっと間に合います。死んでからでも遅くはありません。

 

 

 

 

自分より下を探しても良い

お役立ち度:★★★☆☆

 

人は生きていると必ず自分と他人を比べます。テストの点だったり身長だったり生き方だったりバックグラウンドだったり、比較点は多種多様に存在するでしょう。こんな時、一般に自分より下を見つけて安心することは悪いことだ、恥ずべきことだ、常に上を見なければならない、とされています。僕にはこれが理解できません。自分以下を見つけてホッとすることで一体誰に迷惑がかかるというのでしょうか。アイツは俺よりバカだ、チビだ、不幸だ、そう思っても口に出さなければ誰も傷付きゃしないのです。確かに常に上を見続けるのはすごいことだと思います。それを否定はしません。ただそれは非常にしんどいことですし、時には自己の否定につながります。そうなっては元も子もありません。要するに

「上を目指し続けるのは善」

「下を見て安心するのは悪」という価値観に縛られる必要はない、ということです。そんなものは個人の自由であって、善悪も糞もないはずです。

上だろうが下だろうが死ねばただの灰だということをゆめゆめ忘れてはいけません。

 

 

この世だけが現実とは限らない

お役立ち度:★★☆☆☆

 

「水槽の脳」という有名な思考実験があります。簡単に言えば、「あなたが見ているこの世界は、水槽に浮かんでいる脳が見ている幻覚かもしれない」というものです。あらゆる刺激や情報は最終的に脳によって受け取られ、処理されます。なのであれば、今自分が生きているこの世界は、実は高度なコンピュータに繋がれた状態で水槽に浮かんでいる脳が見せられている幻覚に過ぎないのかもしれない、ということです。

僕はあんまり哲学に詳しくありませんが、本来これは意識とはなにか、みたいなことに迫るための思考実験らしいです。しかし本題はそこでありません。今自分(のような主体)が生きている(と思っている)この世界が、全くのまやかしである可能性は確かに誰にも否定できないということを言いたいのです。ある日突然目が覚め、自分が蝶であることを思い出して花の蜜を吸いに飛び立つかもしれないわけです。少なくとも僕は常に心の隅にその可能性を置いています。その方が色々楽なので。

 

 

他人に期待しない

お役立ち度:★★★★★

ここで言う期待というのはかなり幅広い意味を含みます。ですが人任せにせず何でも自分でできるようになろうぜ、という意味ではありません。

さて、故意であれ過失であれ不可抗力の事情であれ、他人が自分を裏切る可能性は常に存在します。仕事だったり遊びだったり、その他些細なことまで、自分が他人に期待をしてしまった瞬間から既に裏切られるリスクが発生してしまうんですね。なので、出来るだけ人の行動に期待せず、常にフラットな心持ちを忘れないようにしよう、ということです。これには、明確な根拠があります。

 

例えば、「明日13時にどこそこ集合で!PSP持ってきてね!」という約束を友達とした、とします。ここで、少なくとも「相手が時間通りに集合場所に来ること:30ポイント」PSPをちゃんと持ってくること:20ポイント」「そもそも来ること:50ポイント」という期待値(数学で出てくるアレとは無関係、あと値は適当)が発生します。

 

で、当日、相手が遅刻し、PSPも忘れてきたとしましょう。もしここで先の期待値をバカみたいにフルで抱いていた場合、-50ポイントの損失が発生します。さらに相手が時間通りに到着し、PSPもきちんと持参していたとしてもそこがそもそもの基準なので1ポイントもプラスがありません。損失は0ですが利益も0です。要するに減点方式になってしまうんですね。

 

ところがです。

 

最初から期待値が0だったとしたらどうでしょう。相手が遅刻しようが、PSPを忘れようが、ドタキャンしようが、端から何も期待していないので損失はどこまで行っても0ポイントです。そればかりか、相手が遅刻せずPSPも持ってきてくれればプラス100ポイントの儲けになります。今度は加点方式になっているわけです。お得でしょう。

 

つまり、他人に期待しないというのは決して他人を侮って見切りをつけるのではなく、常に寛容に人の行動を受け止め、その上でできるだけポジティブな捉え方をしていたら良いですねということです。

 

たぶん他にも色々ありますが、とりあえずパッと思い付いたことは以上です。それではこれらを踏まえてまとめに入ります。

 

 

まとめ

 

彼女欲しい。あと掃いて捨てる程のお金も欲しい。

 

「筆を置く」という表現について

この辺りで筆を置くことにしよう。

 

みたいな表現を誰しも見たことがあると思う。筆を置く、なかなか綺麗な言い回しやん。

 

なんかこう昭和の文豪みたいな人が眼鏡外して眉間とか利き手側の肩とかをもみもみしながらため息一つ、そのまま座椅子にもたれかかって最後の一文字書き終えたカタルシスに浸ってますみたいな情景が浮かんでくるやんけ。

 

それは良い。良いのだが一つ気になることがある。

 

これを現代風に言うとどうなるのか?

現代の一般人は日常生活で文字を書く際そうそう筆を使わない。せいぜい常用する物といったら鉛筆、シャーペン、ボールペンくらいだと思う。じゃあ「筆」の部分を適宜置き換えれば良いのだろうか?

「シャーペンを置く」

「ボールペンを置く」

「鉛筆を置く」

正直微妙だと思う。「筆を置いた」時のような質感が薄い。何故なのか。しばし考えてみた。

 

結果、一つの答えにたどり着いた。

 

オブジェクトの鮮度が微妙。

 

筆と言われればもう何百年と前から存在する道具だ。ビンテージ物と言って差し支えない。しかしながら先に挙げた彼らはどうだろうか。新しいと言えば新しいし、前からあると言えば前からある。

 

要するに中途半端なのだ。パンチが弱いと言っても良い。レトロでもモダンでもない物は残念ながら

「古くさい」乃至「普通」くらいのレンジに収まってしまう。牛車とリニアモーターカーの間に置かれた10年前のプリウスに何かアイデンティティを見出せるだろうか。恐らく無理だ。

 

話を戻そう。「筆を置く」を現代風にアレンジする為には、とどのつまり最先端の文字書きツールを持ってくれば良いのだ。では最先端の文字書きツールとは何か。

 

答えは眼前にあった。スマホのキーボードである。今まさに俺はスマホのキーボードで文章を書いているではないか。

 

ひょっとしたらそれよりもさらにハイテクでものすごい文字書きツールも知らない所で発明されているのかもしれない。しかしながらこういった慣用句には「多くの人間が容易に意味を汲み取れなければならない」いう暗黙の了解がある。

 

まだ遍く知れ渡っていないような物や概念を持ち出してきて新しい表現を作ったとしても、殆どの人間にその意味は理解できない。天動説の時代に生きる人々に「何時何分何秒地球が何回まわった時ですか〜?ww」と言ってみれば分かるが恐らく怪訝な顔をされるか宗教裁判にかけられて終わると思う。地球は回らないからだ。

 

その点スマホのキーボードという概念は殆どの人が理解できる。今や小学生から後期高齢者までスマホを持つ時代だ。ここでとりあえず新しい表現に盛り込むオブジェクトは確定した。

 

しかしここで新たな問題が発生した。スマホのキーボードは画面上にのみ存在するものであって、これを「置く」ことはできない。仮に無理矢理

「この辺でスマホのキーボードを置くことにしよう。」

などと宣っても間抜けさとちぐはぐさだけが残る。ではどうすれば良いと言うのか。私は悩んだ。とりあえずDMMで蓮実クレアの新作をチェックした。

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ここで私ははたと閃いた。何も「置く」という表現に縛られる必要は無いのではないか!?一般的に人がスマホで文字を打ったのち最後にすることを考えれば良いのではないか!?私は震えた。コペルニクス的転回と言っても良いだろう。天動説マンも吃驚な天才的発想によって、私は辛くも一つの光明を得た。

 

一言にスマホで文字を打つ行為と言っても、その目的は多岐に渡る。SNSへの投稿であったり、メール等のやり取りであったり、何かを検索する為であったりと、一概にまとめることはできない。

 

しかしながら、私はついにそれらすべてに共通するアクションを発見した。それは.....

 

改行キーを押すこと

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である。

各々意識してみれば分かると思うが、右下の一番大きなキーは文章や単語を打ち終えた時必ず押されているはずだ。最近のスマホは便利なもので状況によってキーの表記が「確定」「検索」「開く」などに変わったりするが、デフォルトではこれは「改行」キーなのである。(iPhoneでの話です。androidはどうなのか知らね)

キー、というのは何となく響きが間抜けなのでここはボタンと言い換えても良いだろう。

 

結論に移ろう。この度私が提唱する新時代の「筆を置く」とはそれ即ち

 

改行ボタンを押す

 

である。

 

以下に用例を記す。

 

この物語はこれでおしまいである。ここから何を感じ取り、何を思うかはまったくもって読者の諸君の自由であり、また権利であるということを最後に述べて、改行ボタンを押すことにする。

 

良いではないか。途端にサイバーな香りがしてきたではないか。私は新たな歴史の一歩を自ら踏み出してしまったのかもしれない。この先数多の困難にぶち当たるやもしれない。だがそれでも構わない。その覚悟はとうに出来ている。

 

これ以上御託を並べる必要はないだろう。一つの時代の終わり、そして新たな時代の始まりを見届けつつ、この辺りで筆を置くことにしよう。

 

 

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.........。